ロバート・キャパとゲルダ・タロー:ゲルダ・タローの「タロー」は当時パリに在住していた若いころの岡本太郎にちなんでつけた名前と言われています。その根拠について調べてみました。
横浜美術館の入場券
ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家 Two Photographers: Robert Capa Centennial / Gerda Taro Retrospective 主催:朝日新聞社/横浜美術館 企画構成(ゲルダ・タロー):ICP(International Center of Photography, NYC) 特別協力:マグナム・フォト東京支社/シーピープラス2013
キャパの写真展を見るのは、1996年頃に仙台三越で開催されたキャパの写真展以来。
今回はキャパの恋人であり、かつパートナーでもあった「
ゲルダ・タロー」に焦点を当てていて、興味深い内容でした。
最初にゲルダ・タローの名前を知った時、「タローって日本人みたいな名前だ。でも、女性だよなぁ・・・。」と疑問に思っていました。
実は「ゲルダ・タロー」とは、キャパの恋人であったゲルタ・ポホリレが、仕事のためにつけたペンネームだったのです。
以前から、「岡本太郎とゲルダ・タローにはどんな接点があったんだろう?」と疑問に思っていました。
その謎が解けたのは、岡本太郎による人生相談本「
太郎に訊け!」を読んだ時です。
以下、岡本太郎とゲルダ・タローの関係について触れている記事をご紹介します。
この中には、ゲルダ・タローの伝記作者イルマ・シャーバーによるエッセイが掲載されています。
ゲルダ・タローの命名に関して、「当時パリに住んでいた日本人画家で彼女と親交のあった岡本太郎に因んでいるとの指摘がある」(P.9)とあります。
手元にあるロバート・キャパの関連本
別冊「太陽」「キャパ」沢木耕太郎が推理する「彼はなぜ撮り続けたのか?」『演説するトロッキー』『崩れ落ちる兵士』『ノルマンディー上陸』
たくさんの写真や沢木耕太郎をはじめとする執筆陣による記事が楽しめます。参考書:リチャード・ウィーラン『キャパ・その青春』『キャパ・その死』(文藝春秋)、ラッセル・ミラー『マグナム』(白水社)、「カメラ毎日」1954年8月号「戦争で笑うヤツはジェネラルとフォトグラファーだけだ」宮嶋茂樹 不肖・宮嶋
「キャパを創った女性、ゲルダ・タロー」と題したページには、ゲルダ・タローの名に関して「当時パリにいた岡本太郎の名を採った」(P.69)とあります。
別のページには、キャパの弟である
コーネル・キャパによるインタビュー記事があります。
ユダヤ人であるキャパがナチスから逃れるためにパリへやってきたころ(1933年)は仕事もなく、一時期は日本人アーティストの
川添浩史と井上清一らのアパートにしばらく居候し、彼らから借りたお金でライカを買うことができたそうです。
キャパの手記である「
ちょっとピンぼけ」の訳者は、まさにこの川添と井上両氏であり、川添氏のあとがきにはキャパと初めて会った時のことが記されています。
「私がはじめてアンドレ−Robert Capaに会ったのは、1935年、地中海の、海と空の殊更に碧いような、南仏カンヌの夏のある一日だった。
キャパは、若く、眼に勝気な光をたたえた、美しい女性と一緒だった。それは彼の愛人ゲルダだった。」 (「ちょっとピンぼけ P.227)
なぜか、ここには「岡本太郎」の名前が出てきません。
1985年、リチャード・ウィーランがロバート・キャパの詳細な伝記を発表。
沢木耕太郎が翻訳して1988年に「キャパ その青春」と「キャパ その死」の2冊を出版。
この本には「原注・訳注・雑記」と題して解説が掲載されており、本文と並んで興味深い内容となっています。
本文中には、ゲルダ・タローの命名について「その名前はパリに住む日本人の若い画家、岡本太郎から借りたものだった。」と書かれています。
沢木耕太郎による雑記の変遷
ハードカバーの初版(1988年)では、ゲルダ・タローの命名の経緯について「岡本太郎に会って、このいきさつをもう少し詳しく聞きたいと思っている」と書かれていました。
ところが、文庫版(2004年)では、この一節が削除されています。
果たして沢木耕太郎は岡本太郎に会って話を聞いてみたのでしょうか?
あるいは会ってもらえなかったのでしょうか?
なお、岡本太郎は1996年1月に亡くなっています。
この伝記では、ゲルダとキャパが恋に落ちた1935年夏の出来事について、このように書かれています。
・・・ゲルダとウィリー・シャルダックと彼の医学校時代からの友人であるレイモン・ゴランに会うためにカンヌに行った。ゲルダとシャルダックとの関係はすでに恋人から友人へ変化していた。
彼ら四人は、合流すると、カンヌから数マイル離れたレランス群島にあるサント・マルグリット島に行った。そこは、美しく、人もまばらな島で、かつて『鉄仮面』のモデルになった人物が幽閉されていたといわれる牢獄があった。彼らは荒れ果てた塔の近くでキャンプをし、イワシの缶詰を食べながら原始的な生活を送った。日光浴をし、泳ぎ、廃墟を探検した。アンドレとゲルダが本当に恋に落ちたのは、その夏のことだった。(「キャパ・その青春」(文庫版)P.156)
沢木耕太郎の雑記では、丸山熊雄の『一九三〇年代のパリと私』の中に、「マントンにて」というキャプションがついた海水浴の写真があり、そこにキャパの友人だった井上清一と岡本太郎が写っているとあります。(マントンはカンヌから東へ40kmのリゾート地)
これより、「このような友人関係の中で、キャパがゲルダや岡本太郎と出会うのは、むしろ自然といえる。おそらくは、たむろするカフェも似たようなところだったのだろう。」と推測しています。
別のサイトには同じ本の解説があり、丸山、川添、岡本がカンヌで夏休みを過ごしたのは「昭和10年のこととされている」とあるので、ちょうど1935年の夏・・・すなわち、ゲルダとキャパが恋に落ちた夏に、パリ在住の日本人たちもカンヌに来ていたことが裏付けられています。
さて、次は岡本太郎のご紹介。
岡本太郎がゲルダ・タローのことを回想した記事を発見したのは、まったくの偶然でした。
たまたま手にとった岡本太郎の本にゲルダ・タローが出てきたのです。
「
太郎に訊け」(原著は「にらめっこ問答」(1980年))
週刊プレイボーイに連載されていた岡本太郎による人生相談をまとめた一冊。
パリ時代のことだが、夏休みにカンヌで友人のアンドレ・フリードマンに会った。彼は当時は無名で、モンパルナスをライカをさげてうろついている若者だった。
「先生には心の友との別れの経験がありますか?」という高校生の質問に対して名前を挙げたのが、ゲルダ・タローとロバート・キャパ。
当時の様子が目に浮かぶ岡本太郎の語りをぜひ「
太郎に訊け」で味わっていただきたいと思います。
さて。
「太郎に訊け」で紹介されているゲルダと岡本太郎の出会いと別れを時系列で整理すると、次のようになります。
・1935年の夏休みにカンヌにでかけた岡本太郎は、友人のアンドレ・フリードマン(後のロバート・キャパ)に遭った。
(「ちょっとピンぼけ」のあとがきを書いている川添氏が初めてゲルダに会った時と同じ頃。)
・キャンプでゲルダに初めて出会う。そして彼女の優しさに惹かれた。
(なお、ゲルダは1910年8月1日生まれ、岡本太郎は1911年2月26日生まれなので、二人は同年代。ロバート・キャパは1913年10月22日生まれなので、彼らより3歳年下。)
・ゲルダの様子がおかしいので、話を聞いてみたところ、彼女は本国のドイツに恋人がいて、彼はユダヤ人だったのだが、ナチの迫害に遭って死んでしまった。彼女もユダヤ系だったので、ドイツに帰って恋人を葬いたくても、それができないので、悩み苦しんでいた。
・岡本太郎がサント・マルグリット島から先に帰るとき、キャパとゲルダが、ふたりで小舟で送ってきてくれた。彼らふたりが再び戻っていくのを夕暮れの砂浜に立っていつまでも見送っていた。
・ 「ゲルダは、その後よくつきあったけれど」と文中にあるので、岡本太郎とゲルダはこの出会い以降もパリで友人関係にあったと推測されます。
→1936年春にゲルダ・タローに改名したのは、この1935年夏のカンヌでの岡本太郎との出会いから8ヶ月程度後のこと。
・ゲルダ・タローがなぜ岡本太郎と同じ「タロー」を名乗っていたのか。その疑問をたずねた質問者に対して「なぜだかわからない」と答えていることから、岡本太郎自身はゲルダが「タロー」を名乗った理由を知らなかった。
(ふたりは友人関係にあったことから、ゲルダが岡本太郎から名前を採ったことはほぼ間違いないでしょう。)
※1936年に、岡本太郎は初期の代表作「
傷ましき腕」を描いています。
・2年後の1937年夏。岡本太郎がパリ・モンパルナスのキャフェで『ス・ソワール』という夕刊を買ったところ、一面のトップに『マドモアゼル・タローの死』という記事が出ていた。それはゲルダ・タローだった。
大切な友人であった彼女の死の悲しみに耐えるため、その晩は強い酒を飲み続けた。
(本では「ゲルタに会って一年後にゲルタが亡くなった」とありますが、実際には2年後なので、岡本太郎の記憶違いと思われます。 )
以上より、ゲルダ・タローと岡本太郎はかなり深い関係にあったことがうかがわれます。
岡本太郎と同じく、ロバート・キャパもゲルダの死に対して深く傷つきます。
<関連サイト>
・「崩れ落ちる兵士」(Wikipedia)(ロバート・キャパ撮影の写真:マグナム・フォト)
2013年2月3日にNHKで放送された沢木耕太郎 『推理ドキュメント 運命の一枚 ~"戦場"写真 最大の謎に挑む~』の推理も紹介されています。
・ 「ゲルダ・タロー」関連の写真検索(マグナム・フォト)
⇒ サイト右上のボックスに「Gerda taro」と入れて検索すると、写真が出てきます。
・ ゲルダ・タロー(Wikipedia)
・ 岡本太郎(Wikipedia)
・ ロバート・キャパ(Wikipedia)
・2018年8月1日のGoogleのトップロゴには、生誕108年記念としてゲルダ・タローがピックアップされました。
ロバート・キャパの本 ロバート・キャパの写真集 ゲルダ・タローに関する本
<Amazon>
キャパの伝記の2冊目。ゲルダ・タローが亡くなった時の様子が詳しく描かれています。
キャパの伝記の1冊目。生い立ちから「崩れ落ちる兵士」を撮影した頃まで。
キャパの伝記の3冊目。キャパの死まで。
週刊プレイボーイに連載されていた岡本太郎の人生相談。ゲルダ・タローとの出会いと別れが紹介されています。強烈な岡本太郎の主張をお楽しみあれ!TARO Okamoto
キャパといえばこの本。脚色が多い内容だということを後になって知りました。
たくさんの写真と解説記事が楽しめる一冊。キャパファンには必携!
キャパの写真集。沢木耕太郎が解説を書いています。
キャパが最後に使用したカメラは「ニコンS」
キャパの十字架
- 作者: 沢木 耕太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/02/17
- メディア: 単行本
「崩れ落ちる兵士」について検証した本。写真の謎解きを楽しめます。
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